いじめへの対応、これが教育なのに

大津市での学校と教育委員会の混迷が毎日報道されている。教育委員会の会見での発言は、世論に押されて少しずつ事実を認めるようになっている。

 最初の会見からすると、全く矛盾する見解となっている。

 事実が明らかになるにつれ、教育委員会のあきれる実態も明らかになっている。二度もアンケートをしていたのに、そのアンケートすら無視していた。そこに多くの生徒が見たこと・聞いたことを書いていたのに、しかもかなり深刻ないじめの状況を書いていたのに、最初はアンケートの存在すら隠していた。

 これらの報道を見聞きして、2つのことを考えている。

 

1つは、これは教育そのものだということである。 

 学校と教育委員会は、責任追及を恐れ隠蔽に走っているのかも知れない。しかし、今子どもたちがこれを見ているということを強く意識して貰いたい。こうした現実に対して大人、それも教育という立場にある大人はどう対応するのかを子どもたちは見ているはずである。そしてそこから学んでいくはずである。

 現在子どもたちに伝えているメッセージは、「無かったことにする」「隠す」「言い訳する」「逃げる」である。とても「敢然と向き合う」というメッセージは感じられない。

 この現実に対して、学校と教育委員会がアンケートを基にさらに調査を進め、何が起きていたのかを明らかにしようとしていたら、あるいは授業の多くをこの問題を話合う時間に充てたり、人間のいのち、尊厳を考える時間にしていたら、子どもたちは多くのことを受け取っていたであろう。「大人はいじめに対しては厳しく対応するのだ」「いじめはしてはいけないのだ」「いじめは人の尊厳を傷つけるのだ」 そういうメッセージを伝える教育になったと思う。教育委員会でありながら、こうした教育を蔑ろにしているしていることこそ、大問題だと思うのである。

 

2つに、情報は隠せないということをいい加減に知るべきである。

 アラブの春が起きたのは、インターネットの力が大きい。今、世界で起きていることもインターネットを通じて知ることが出来る時代である。中国で新幹線を埋めて隠蔽しようとしても、世界中に知られてしまう時代なのである。子どもたちは、携帯やパソコンを通じて情報発信もするし、情報交換もする。教育委員会の大人たちには分からないだろうけれど、日常的なこともネットに溢れている。

 そんな時代に子どもに口止めするなど、幼稚で姑息な考え方が通じると思ったのであろうか。あまりに時代を知らなさすぎる。

 情報は公開していく時代である。アンケートしたのなら、その内容や結果を公表すればいい。それが自殺の原因かどうかを判断するのが学校の役割では無い。判断なく、事実をまず公表することである。議論を巻き起こせばいいのではないか。まず事実を包み隠さず公表し、多くの人に知ってもらうことから始めなければならない。

 

 陰湿ないじめもネットを利用して行われる。いじめにきちんと向き合い、「いじめは無くすのだ」という強い意志を示して欲しいものである。それが教育の本質だと思う。